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NoはYesに先立つ

私事になるが、1歳3ヶ月になる子供(男の子)を育てている。1歳を過ぎたあたりから俄然できることが増え始めてきて、日々、驚きに事欠かない。単なる動作が反応になり、対応に変わり、喃語は言語へと成長し始めて、単に生物学的なヒトに過ぎないものが、次第に人(笑うヒト=ホモ・リデンス、遊ぶヒト=ホモ・ルーデンス、賢いヒト=ホモ・サピエンス…)になっていくさまを目の当たりにしている感がある。

生後数ヶ月の時点では、赤ん坊が積極的に表明するのは主として食欲だ。もっとも「表明している」といった主体的・自覚的な言葉遣いは、正確ではない気がする。なにかわけのわからない不安や危機感に、泣くという行為が条件反射的に紐付いているだけのようだ。ついでに言えば摂取するのは母乳かミルクだけなので、「食欲」という言葉も正確ではない気がする。

この段階では、コミュニケーションは非常に短絡的だ。サインAを受け取って、Bを欲していると仮説を立て、Bを与える。サインAが止んだら、Bを与えるのを止める。

しかし成長してくると、もう少し赤ん坊の内面が見えてくる(気がしてくる)。感情が生まれ、遊びが始まり、欲望が多層化する。

ここで面白いなと思ったのは、コミュニケーション的な観点から言えば、人(言葉を操るヒト=ホモ・ロクエンス、社会的なヒト=ホモ・ソシアリス)になるステップとは「否定」から入るものなのだ、ということだ。

例えば、目は届くが手の届かない場所に、幾つかのおもちゃが乗っているとする(実際にはおもちゃなどではない。すべて私の文具や書類など大切なものなのだが、それは置いておく)。そのどれかで遊びたいというので、息子が指をさす。そこで「これ?」と手渡してあげると、首を振ってイヤイヤをするのである。これは自分のお望みのものが手元にやってくるまで繰り返される(往々にしてそのターゲットは「いま必要な道具」「破られたら困る書類」だったりするのだが、その場合の苦労については割愛する)。

このやりとりで気付くことは、人は満足している時、特にYesを表明する必要などないということだ。ただ一心におもちゃ(…ではないのだが)に向かい、笑顔あるいは真剣な面持ちで、父親が困るまで独占したり、場合によっては損壊していればよい。要するに、なにも差し迫ってはいない(※)。

※大人がYesを表明するのは、それ自体がコミュニケーションの潤滑油として必要だからであろう。「私はこういう時に嬉しいです」「私はあなたに感謝しています」「この場を共有できて嬉しいです」etc.

不満足な場合は、そうはいかない。コレじゃない。ソレでもない。違う。いますぐ欲しいのに。その意図を、是が非でも伝える必要がある。どうしていつまでもわかってくれないの? ここまでくると焦りや苛立ちが抑えられなくなり、泣くという強硬手段を取らなければならない(「手段」という言葉遣いもまた、正確ではないけれども)。

さて、自分ではほとんど何もできない赤ん坊にとっては、このような表現手段を持っているかどうかが、快・不快や生存確率にダイレクトに直結する。だからコミュニケーションの初期段階においては、原理原則として、Yesより先にNoを覚える必要があるのである。なんだかネガティブな印象を受ける事実だが、だからこそ、子を持つまで積極的に気付かなかったのだろう。

先述した生後数ヶ月の頃を思い出してみれば、やはり「泣く」というのは、何らかの意味での、世界に対してのNoであったことに気付く。

「主に食欲」とは書いたものの、赤ん坊が泣く理由は実に様々だ。暑い、寒い、オムツを替えて欲しい、服の生地が痛い、眠い、etc, etc.(大人の言葉で書いたが、もちろん本人は言語化していない)。そしてこちらがアレコレ推測して不快の原因をうまく取り除けた時にだけ、「普通に戻る」のである。特にYesだとか嬉しいとかパパありがとうの表明はないので、親としてはNoがなくなったことにホッとするのみだ。

この「NoはYesに先立つ」というシンプルな事実は、広くコミュニケーション全般に適用できる。外国語の学習においても(現地滞在などのリアリティを伴った場合は殊に)そうかもしれない。大小のミーティングや会議から、飲み会のお店の決定に至るまで、話の流れにYesなら黙っていればいいかもしれないが、Noなら主張しなければ始まらない。Noはいずれの場合にも、それまでのコミュニケーションの流れを断ち切ったり変えたりする機能を持ち、それゆえ、発信者と受信者の両者にとって重要なのである。

同様のことが、企業やブランドと生活者間のコミュニケーションにおいても言えるだろう。ただしこの場合のNoには、大きく2パターンがあるように思われる点で事情が異なる。

1つはいわゆるノイジー・マイノリティだ。声は目立つが、その部分を改善しても、消費者全体の満足度向上にはさほど貢献しない。より重要な、しかし見えないNoはサイレント・マジョリティのものだ。親にすべてを委ねなければならない赤ん坊と違って、生活者には、幾らでも同様の商品やサービスのオプションがある。なにも差し迫ってはいない。だからNoという声は聞こえない。彼らは黙ってそこを立ち去るだけだ。その足音を、データの中に聴くノウハウが求められている。

注:本エントリーで取り上げた新生児および乳児の発達段階については、下記サイトが参考になる。特に“Hearing and Language Development”の段落内には、Baby’s understanding of various phrases will begin, such as “No” and “Come see daddy”. という、注目すべき一文がある。

http://www.askdrsears.com/topics/parenting/child-rearing-and-development/bright-starts-babys-development-through-interactive-play/6-12-months-baby-move

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テーブルエッセイ執筆者

片桐暁

株式会社テーブル
ディレクター/ 取締役

片桐暁

コピーライター/クリエイティブ・ディレクター。日用品からプレミアムブランドまで、個店や中小企業から外資系、グローバルメジャーまで、ジャンルや規模を問わず、各種クリエイティブおよびブランディング、コミュニケーション施策の設計・実施に携わる。文部科学省『一家に1枚 宇宙図』制作に参加。『太陽系図』『光図』『シミュレーション図』制作委員会。著書に、最新宇宙論を恋愛小説の体裁で解説した『宇宙に恋する10のレッスン 最新宇宙論物語』(共著、東京書籍)。